東青梅駅 北口 徒歩5分のピアノ・上映・イベントホール&トランペット教室 青梅 貸しホール サウンドコレクション吉澤

吉澤 賢太郎 プロフィール

吉澤 賢太郎
音楽家として皆さんの音楽活動をご支援します。

吉澤 賢太郎 (よしざわ けんたろう)

サウンドコレクション吉澤 代表

トランペット奏者

アーサー・ブラス・コンソート主宰
防衛大学校吹奏楽部常任指揮者

プロフィール

アーサー・ブラス・コンソート主宰

国立音楽大学卒業。東京芸術大学大学院修士課程修了。
その間、トランペットを、故 祖堅 方正、北村 源三、故 中山 冨士雄、各氏に師事。'83年、'91年、渡英。故 フィリップ・ジョーンズ、ジョン・ミラー、両氏に師事し、特にジョーンズ氏より金管合奏の分野に多大な影響を受ける。また、マイケル・レアード氏に古楽器を師事。

これまで、“アーサー・ブラス・コンソート”のリーダーとして、全国的にコンサート活動をする他、フリーランスのトランペット奏者として、在京、各地オーケストラ・吹奏楽団のエキストラ奏者、および、TVCM・映画音楽等のスタジオ録音に参加。また、古楽器のスペシャリストとし等、ジャンルを問わない演奏活動を展開する。

一方、これらの経験を活かし、更新の指導に当たっては、新潟県立新潟中央高等学校音楽科特別非常勤講師('03年〜'12年)を勤めたほか、プライベートレッスンに於いても、数多くの演奏者・教育者・指導者を輩出している。

吹奏楽指導及び指揮者としては、長野県上田市民吹奏楽団常任指揮者('90年〜'04年)を勤めた他、各地の吹奏楽コンクール、アンサンブルコンテストの審査員及び課題曲講習会講師を歴任する。また、編曲者としても、アンサンブル編成、吹奏楽編成などの作品を(有)ウインドギャラリー社より数多く出版している。

“アーサー・ブラス・コンソート”による青梅市内での公演

平成2年 5月28日 於 市立今井小学校 音楽鑑賞教室 演奏会
平成2年 11月4日 於 市立吹上中学校 創立10周年記念演奏会
平成5年 10月12日 於 市立第四小学校 音楽鑑賞教室 演奏会
平成5年 10月26日 於 市立新町小学校 音楽鑑賞教室 演奏会
平成5年 12月12日 於 青梅市立美術館“MUSEUM CONCERT”
平成6年 6月8日 於 市立今井小学校 音楽鑑賞教室 演奏会
平成8年 6月5日 於 市立吹上小学校 音楽鑑賞教室 演奏会
平成9年 6月24日 於 市立吹上小学校 音楽鑑賞教室 演奏会
平成11年 6月11日 於 市立藤橋小学校 音楽鑑賞教室 演奏会
平成12年 2月11日 於 青梅市民会館ホール
主催 青梅市教育委員会 青梅市民会館“街の音楽家たちのコンサート”
平成13年 3月10日 於 市立第三中学校
三校合同スプリングフェスティバル“春一番ブラスコンサート”ゲスト出演
平成13年 11月17日 於 市立新町中学校創立20周年記念演奏会
平成16年 11月27日 於 市立第五小学校 音楽鑑賞教室 演奏会

私とトランペットとの出会い

今から50年程前の中学1年生。小学校依頼の器楽合奏では、リズム感の悪さと音感の悪さを痛感。しかも楽譜が読めない。最初に入部した卓球部は、3日間で辞めて、絵を描く事が好きで美術部に在籍しても根気が無い。それでも体形は、今とあまり変わらない。
そんな私に「どうだ、吹奏楽部に入ってチューバを吹かないか?!」と声をかけてくれたのが、恩師 平井 明 先生。2学期のある日の事でした。親に相談すると「お前は、人と協力して何かをするという事ができない我儘な性格だから、良い機会だ、是非やってみろ!」との答え。

翌日の放課後だったか・・・・
西校舎二階一番はずれの音楽室の脇に付いている非常階段踊り場で、小学校時代からの友人Y君が、トランペットの自主練習をしていました。自転車通学だった私は、帰路、その階段下からY君に、「俺、吹奏楽部に入る事にしたよ。」と声をかけ、話が進んで行くうち、何となく私もトランペットを吹きたくなってきたのです。
階段を駆け上がり、そして、彼の吹いていた楽器を借り、彼から奏法に関する簡単なアドバイスを受けて・・・・秋の夕日に染まる多摩から秩父に連なる山々に向かって、初めて、トランペットを吹いたのです。(音がすぐに出たかの記憶は無いのですが、)その時、何かを感じました。

さらに翌日の放課後、正式入部の時には、平井先生より、勿論チューバを指定されていたのですが、自ら「トランペットを吹きたい!」と宣言しました。その時、先生ご自身の楽器編成プランが多少停止したかもしれません。がすぐに先生は、トランペットの自主練習中のあのY君を呼び、我々二人の唇の形、歯並びを比較検討して(ほんの1,2分)、その結果、Y君がチューバにまわり、そして私が、トランペットを吹く事に決定したのです。この決定に、Y君が直ぐに同意したのも幸いです。
今から思えば、この日が、私にとって、人生最大のメモリアルとなったのです。(具体的な日付の記憶が無いのが残念です・・・・)

それから、誰でもが経験する、青春の希望と挫折の日々でした。都立北多摩高校時代は、トランペットの個人レッスンを航空自衛隊中央音楽隊の関 雄策氏より受けていましたが、国立音楽大学受験を決意したのは、高校2年生から3年生になる前の春休みでしたので、専攻楽器以外の受験科目の準備は、突貫工事そのものでした。

中学校音楽科教師はあるいは航空自衛隊音楽隊隊員として、自分の将来の職業を描きながらの音楽学生でしたが、徐々に変化して行き、東京芸術大学院修了の頃には、フリーランスのプロ演奏家志向となっていました。(因みに、プロ演奏家としての初ステージは、大学3年時の1月15日、成人式で行われる“青年の主張”の後半アトラクション。東京フィルハーモニー交響楽団のエキストラとして演奏。NHKホールで、ゲストは、坂本 九、山口 百恵さん。TV生放送でした。)
学生時代は、祖堅 方正、北村 源三、中山 冨士雄先生方はもとより、先輩、後輩また、一緒のステージを持った多くのメンバー、仲間達から、音楽的にも人間的にも、影響を受けて、卒業後は、フリーランスのトランペット奏者として、演奏活動ができるようになりました。

於 旧自宅レッスン室での取材・撮影
於 旧自宅レッスン室での取材・撮影

昭和56年10月号のバンドジャーナル紙、ヤングアーティスト紹介に載った記事を読み返すと、楽器や音楽に対する熱い情熱が今でも伝わってきます。

在京&各地のオーケストラのエキストラ出演、また、“東京佼成ウィンドオーケストラ”の公演では、故 アルフレッド・リード氏(初来日)指揮の定期演奏会・レコーディングにエキストラとして参加。他、多数の公演にも参加しました。

金管アンサンブル奏者としては、昭和52年4月から昭和61年9月まで“ブラスアンサンブル・ソナーレ”を主宰し、リサイタル11回、他依頼演奏を多数公演。

“ブラスアンサンブル・ソナーレ” 於 石橋メモリアルホール
“ブラスアンサンブル・ソナーレ” 於 石橋メモリアルホール

昭和61年10月からは、“アーサー・ブラス・コンソート”を主宰し、リサイタル3回、他依頼演奏も多数公演。

“アーサー・ブラス・コンソート” 於 石橋メモリアルホール
“アーサー・ブラス・コンソート” 於 石橋メモリアルホール
バンドジャーナル誌

平成2年5月には、その活動が、バンドジャーナル誌に掲載されました。
平成7年4月には、“NHK FMリサイタル”にも出演する他、全国各地の小中高生達に生の音楽の素晴らしさを伝える活動を積極的に展開してきました。

ポピュラー音楽分野では、昭和59年3月の“リンダ・ロンシュタット&ネルソン・リドルオーケストラ”の来日公演にソロトランペット奏者として参加。スタジオ録音関係では、多数の映画音楽、TVコマーシャルの録音に参加し、東京放送菅弦楽団のエキストラメンバーとして、NHKTVの音楽番組に多数出演しました。一方、バロックオーケストラの古楽器奏者(ナチュラルトランペット&ツィンク)としては、古楽器による演奏の本邦初演にも多数参加しました。この様に、ジャンル問わず多方面のフィールドでチャレンジし演奏してきました。

そして、さらに音楽表現を深める為に訪れたロンドンでの、3人の先生方からの影響は、文章にするには余りあるものが有ります。

フィリップ・ジョーンズ氏フィリップ・ジョーンズ氏
於 フィリップ・ジョーンズ氏の自宅
マイケル・レアード氏
於マイケル・レアード氏の自宅
於 マイケル・レアード氏の自宅
ジョン・ミラー氏
於 ロイヤル・アルバートホール
吹奏楽指導・指揮者として

そして、演奏活動と並行して、自分の技術と経験を、楽器と音楽に興味のある多くの人達に伝えると言う、教育活動にも大きな魅力を感じる様になりました。トランペットのプライベートレッスン・グループレッスンの他、吹奏楽指導・指揮者として、
昭和62年10月より約20年間“上田市民吹奏楽団”、
平成2年4月より約15年間“国立長野工業高等専門学校吹奏楽部”
のそれぞれ常任指揮者を務めましたが、これらの活動によって交際した多くの人達からも、たくさんの刺激を頂きました。

また、近年、今までストックしておいた、金管アンサンブル編成・吹奏楽編成の編曲作品を、(有)ウィンドギャラリー社の協力のもとで出版し、全国の愛好家の方々にも演奏して頂ける様になりました。

しかしながら、これまでは・・・・
私自身が生まれ育った地域の皆様方とのパイプ・コミュニケーション・交際等は、非常に少ないと言わざるを得ません。もっともっと、地域の方々と音楽の(それ以外のジャンルの方々とも)“和・輪・話”を拡げたいという、『思い・願い』が強くなってきました。

そこで我が家をオープンにし、“ハウス貸しホール”にすることにより、発展的な関係、積極的な関係、多彩な交流関係が創り出せるのではないか・・・・と考え思っています。
これから多くの方々の御利用をお待ちしております。

サウンドコレクション吉澤
吉澤 賢太郎